もののけどんぶらこ

-牡丹灯篭 前編-

「おっかあ」

 奉公から戻った志乃《しの》は夕食の支度にかかっていた。一人遊びには慣れているはずの萬太郎《まんたろう》だったが、あまりの出来事にあわてて母を呼んだ。
「ちょっとお待ち、もう少しでおまんまできるからね」
 萬太郎の必死な様子は志乃には伝わらず、志乃は萬太郎をちらりとも見ずに食事の支度にかかりきりだった。萬太郎はぱたぱたと母に近寄り、ぐい、と、腕を引いた。
「腹がへったんじゃないよ、おっかあ、あっちに怖いものがいるよ」
 泣きそうな顔に驚いて、萬太郎に導かれて見た先(一度庭先へ出て覗き込んだ隣家)には、美しい着物を着たしゃれこうべと睦みあう隣人、佐々木兵衛の姿があった。



■三國屋

 がたがたと震え、怯えている志乃、萬太郎親子に戸惑いながら、三國屋多門《みくにやたもん》は尋ねた。
「いったいどうしたんですか、志乃さんらしくないじゃないですか」
 異国の言葉に堪能な志乃は廻船問屋、三國屋で奉公をしている。三國屋としては、唯一の貿易港である長崎の第一線で働いて欲しいのだが、志乃には元々そちらから流れてきて、港には住めない事情がある為、今は江戸でちょっとした文章の翻訳や、帳簿の管理などを行わせている。恩人の口利きで雇ったのだが、飲み込みも早く、頭の良い志乃を今では三國屋は頼りにしているのだった。
 女手ひとつで一人息子を育てながらも働くしっかり者の志乃がたいそううろたえているので、三國屋も少し不安になる。
「お……、お隣に……」
「佐々木様がどうかしましたか?」
 塩谷藩藩士、いや、元藩士の佐々木兵衛《ささきひょうえ》も、とある事件で関わりを持ち、今は三國屋の用心棒のような事をしている。志乃と佐々木は同じ長屋に住んでおり、こちらは三國屋が奉公人を住まわせる為先日安く買い上げたばかりで、今住んでいるのは佐々木と志乃だけだった。
「アヤカシに……、憑かれて……」
「アヤカシ……ですか……!」

■再び三國屋

「このたびはまた、お久しぶりでございます、幻殃斉《げんようさい》様、源慧《げんけい》様」

 三國屋の上座に並んで二人、脇息にもたれて扇子を弄び、派手な衣装に身を包んでいる方は柳幻殃斉《やなぎげんようさい》。肩書きは一応修験者だが、今は物書きのような事をやっており、謎の薬売りの男が海の怪異を退治する話で一斉を風靡した。今では戯作者、幻殃斉の方が通りがいい。しかし、本人はそれを嫌がっている。食い詰めて自身の経験を本にしたはいいが、思いがけず売れてしまったのは複雑だった。自分を主人公に据えなかっただけ良識はあったのだが、世間からそれが受け入れられてしまうのは何とも皮肉である。
 もう一人はすらりとした美僧で、妖しい魅力をたたえている。一応年齢不詳となっているが、実際は六十をとうに越している。幻殃斉同様、とある事件で三國屋達と知り合った。 過去から解き放たれ、今は同じようにモノノ怪や怪異に悩まされる者達を救うのが使命とばかりに、法力を用いた妖異退治を生業《なりわい》としている。
 その容貌の美しさに魅了される者は多いが、愛情を注ぐ「女性」は過去に一人と決め、稚児を相手にする事が多い(元々そちらの趣味だったという説もある、これは事件の際に同道していた加世という娘の談)。いわゆる破戒僧の部類である。
「三國屋殿の声かけとあれば、この幻殃斉、何なりとお力になりたい……とは思うのだが、そちらの御坊とひとくくりに呼ばれるのはいささか不本意だと前回も申し上げたはずなのだが……」
 ちらり、と、幻殃斉が源慧を一瞥《いちべつ》する。法力よりは知識の勝る幻殃斉は、強い法力を持っている源慧をけむたがっている。また、源慧の方も、
「いや、実に、三國屋殿、このようなインチキ修験者に声などかけずとも、妖異、妖物の調伏であれば私一人で十分でございますよ」
 にっこり、と、ふっきれた笑顔で源慧はうそぶく。
 三國屋がこの二人をまとめて呼ぶのは双方足りない部分を補い合えると思っての事なのだが、矜持の高い二人にそんな事は言えない。
「いやいや、今度の件につきましては、是非またお二人に力をお併せいただきまして解決いただければと……」
 と、苦笑いで場を濁すのが精一杯だった。本当は、薬売りを呼びたいのだが、向こうは旅の行商人、連絡をする術が無いのだ。
「つまり、あのワカメ頭のサムライ殿に憑いた妖《あやかし》を取り除きたい、と、こうおっしゃるわけですな」
 ピシャリ、と、扇子を閉じて幻殃斉がキッパリと言い放った。
「ええ、ただ、まあ、その妖《あやかし》の正体についてはまだわからないのですが……」
 おどおどしながら三國屋が言うと、
「恐らくはキツネの類であろう、男の精気を吸い取り、取り殺してしまうという、妖弧、玉藻の前の眷属に違いない!しゃれこうべであれば北斗七星の秘術を行って人の姿に化けているのだ!」
 ビシィィィ!と、あらぬ方向を扇で指し示しながら幻殃斉が口上を決める。
「そう決め付けるのはいささか性急なのではないですか?修験者殿」
 冷ややかに言うのは源慧。
「かのお方は先だっても刀の妄執に憑かれておりました……元々、心優しき方ゆえ妖に魅入られやすいのでしょう……」
 南無……、と、数珠を手に合掌した源慧が真言を唱えると、皮肉を込めた口調で幻殃斉が言った。
「そなたとは、憑かれていた者同士、お気が合うのでしょうね」
 怜悧な源慧の強い視線と、幻殃斉の間にぴりぴりと走る稲妻が、三國屋には見えるようだった。

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